Field Study of
Economics Department

経済学科のフィールドスタディ

2013年度 <中国FS> 学生報告6

北京、内モンゴル、上海と三つの都市を巡ることで、地域のごとの雰囲気を感じることができた。建物、道路、バスや地下鉄、人々の様子、交通量、食事も地域によってさまざまであった。

食に関して言えば、北京の饅頭は強力粉系の味が濃いもので一個は小さく、内モンゴルの饅頭は普通の小麦粉を捏ねて蒸したような蒸しパンで一個が大きく、上海ではあまり饅頭を見なかったが、小龍包がよく出てきた。他、内モンゴルでは店を問わずトマトと卵の炒め物が出てきたり、羊肉を食すことができたり、地域毎の食文化に触れることができた。

一方、三都市に共通して感じたことは、急速な社会発展のもとで、社会とひとびとの間に差が生じていることである。裕福であろう人の生活スタイルは社会に合わせて変化しているが、労働者階級の人の生活スタイルはそれについてきておらず、身なりに無頓着である人も多く、意識の差があるように感じた。こういう人が近代的な街で仕事をし、生活を営んでいることにミスマッチを感じたが、ここに人間味・活気を感じ、一番刺激的な部分であった。あくまでも自分の主観になるが、日本の高度経済成長期、70年代、80年代はこんな感じだったのかと想像が膨らんだ。

概して、北京は近代的な高層ビルがあり、王府井のように高級ブランドが立ち並ぶデパートもあった。高級車も多く走っていた。反面、身なりに無頓着な人も多く、露店やポイ捨てで悪臭が発生しているところ、王府井のすぐ近くには乞食がいるなど、急速に近代化が進み、世界中の企業や機関が集まる一方での格差の拡大、富裕層と中間層或いは貧困層の人々の意識の差があることが直に感じられた。また、人が多く、日本では見ない大規模な道路でも渋滞が発生していた。インフラは整っているようにも見えるが、人口の集中に追いついていないことが実感できた。どこにも人があふれていた。


北京大学・ZHOGGUANCUN付近の大通り:片側五車線ずつ+片側四車線の地下道

内モンゴル・フフホト市は建設ラッシュが目立ち、資材を運搬するトラックが多かった。石炭などの資源が豊かで、大規模な火力発電・風力発電施設もあり、これからの発展が強く感じられた。都心部には、専用車線が設けてある路線バスなどの公共交通機関や高速道路などのインフラもある程度発達しているが、一般道には凸凹道も多く、砂漠地帯には植樹が必要であり、インフラが整っているとは言えなかった。

都市部以外での遊牧民の生活にも興味がわいた。今回草原で宿泊した観光施設は、草原での生活を疑似的に体験できるようにつくられた観光施設であった。馬に乗り、人によっては民族衣装に着替えたりしたが、本当に住居を転々と移す遊牧民の生活を見ることはなかった。それでも、知識として水の確保が難しく、ほとんど入浴できないことを知っているだけでなく、実際に現場(を模したもの)に行くことで、ようやくその辛さを実感できたことはよかった。

また、内モンゴルでは建設が盛んなことなどからトラックを頻繁にみた。ガソリンスタンド(中国石油・中国石化の二社のみ)も多く目についた。金融機関は内蒙古銀行、中国農業銀行、中国産業銀行、中国建設銀行など国営が目立った。


上海外灘の金融街

上海は、一見、日本での暮らしと大差を感じるところがなく、インフラも整って見えた。豫園周辺の観光地は整備されていて風情があった。裏通りには日本・上野のアメ横のような雰囲気の市場があり、露店や偽物製品を売る店が多くあった。乞食も多くいた。上海バンドや南京路、新天地のような近代的地域は金融中心街であったり、高級ブランドが集中していた。金融街だけあって、内モンゴルとは対照的に国営の他にも多くの銀行や証券会社があった。


上海・豫園周辺の売店にて:偽物と思われるおもちゃ

北京首都国際空港のロビーに到着した時点で、なぜか香辛料や小麦粉類の混ざり合ったような今までに感じたことのない匂いがした。夜であったが、バスに乗って外を見ていても空気がかすんでいることがわかった。北京では、天気は晴れだが太陽が見えない状況があった。雨が降った後は空気が澄んで太陽が見えた。PM2.5などの大気汚染が日本で頻繁に報道されていた時期があるが、最近ではほとんど報道されていなかったため気になっていたが、慢性的な問題であることを実感した。

初日、最初に行ったレストランのガラス張りの扉のエレベーター、映画『Spirited Away』に出てくるような建物のデザインや大きさからも異国情緒が感じられた。また、日本では歩道として捉えられるであろう車道から一段上のスペースに車が悠然と止められていることは驚きだったが、以降もその光景をよく見た。北京大学・ZHOGGUANCUN(電気街)周辺の大通りは片道5車線に加え、片道4車線の地下道も併設されていた。(上述の写真)自転車や、日本でいうところの原付バイク(電動式)の交通量も多く、部分的に自転車専用レーンが設けられていた。日本では電動式スクーターを見たことがないので、日本市場で受け入れられていない理由が気になった。


北京大学構内に停められためられた自転車

車はBMW、Mercedes Benz、Audi、Volkswagenなどの(高級)車が日本以上に数多く見受けられた。HyundaiやFordも多く、他にも日本では見かけないメーカーもあった。トヨタ、日産、ホンダはほとんど見た記憶がない。  北京大学キャンパスの広さも驚きだった。学生や先生の家族が住む寮や住居の他ホテルやレストランがキャンパス内にあり、一つの街になっていた。キャンパス内には自転車が本当に多かった。日本では捨てられるのではないかと思うほど古く感じられるものが多く、実際にパンクし長年放置されていそうな自転車も見受けられた。日本からの中古自転車はあるのか気になった。一方で、上記メーカーの高級自動車も多く見かけた。


北京大学東門周辺の様子:写真右側の人だかりができているところが東門入口

未名湖、博雅塔、図書館は大学のシンボルになっているという。古い建物から近代的な建物まで幅があるのがとてもいい雰囲気だった。夏休みであったためか、中学生くらいの人や家族連れでキャンパス見学に来ている様子が多くみうけられ、連日、東門周辺には入構を希望して多くの人たちが集まっていたようだ。西門には”北京大学”の看板が掲げられていて、撮影スポットになっており、最高学府・北京大学への人々の憧れや尊敬が強く感じられる光景だった。

北京大学には、体格のいい西洋人留学生もいれば、身なりに無頓着な工事の土方・方々から来た中国人学生、各国の留学生、見学中の子供がいて本当にいろんな人集まっていると感じられて刺激的だった。激動の時代を直に感じられる北京の人は問題意識を維持しやすく、自分の手で社会を善くしていこうという意識が高いようにも感じられた。中国に限ったことではないが、自分が外国の人と話す度に、自分の大学生活の目的意識の低さを実感する。先生もおっしゃっていたことだが、日本では高等教育の門戸がひろく開かれていること、簡単に卒業できること、社会的に成熟していることで問題意識を持つ人が少ないのだと感じた。外国人と話すと、大学で何を勉強しているか、なぜ勉強しているか、将来何をしたいかなどを聞かれるが、答えに詰まると情けなく感じる。


北京大構内での工事現場 服装に無頓着でカラーコーンで仕切られている様子もなく、自然に工事を行っていた

テレビはチャンネル数が70~80近くあったように思うが、時代劇のような昔の中国王朝を描いたものが多くあった。頤和園や天安門広場、紫禁城(故宮博物院)には中国人観光客もかなり多く、中国人にとってもなかなか訪れられない歴史的遺構なのだろうと感じた。歴史に詳しい国民が多いとすると、愛国心が強まり、歴史的遺構を訪れる意義が高まるだろう。日本の歴史的遺構に比べて規模が莫大で、故宮は荘厳であったし、頤和園の回廊は芸術的であった。頤和園の蘇州街はタイムスリップしたように美しく、感動した。観光地ではあるが、自然体で、ピカピカになっていないところ――屋根に草が生えていたり、剥がれた石畳を自然に修復している人がいたり、人々の活気や服装――が自然体で、清王朝の時代の人々の城に対する態度がそのまま残っているようで、より風情を感じた


紫禁城で修復用の煉瓦をはこぶ人

この自然体は、北京、内モンゴル、上海に一貫して感じ取れた。言葉にするのは難しいが、おなかを出して歩く身なりに無頓着な人がいたり、列に割り込んでくる人がいたり、書店に座り込み本を読む人がいたり、怒っているように聞こえる中国語であったりという点と本質的につながっているように感じた。良い言い方でないが、途上国ならではの生きるのに必死なために必然的に実利的・合理的で、結果的に個人主義に見える気質があるように思った。加えて、中国ではかなり社交の場を重んじるように感じた(食事の場での余さんや小林さんを見て)。中国の人は実利的な反面、人間関係にしても素直で実直、フランクで人懐こくて、情に厚いと感じる。日本に来ている中国人留学生、今回お世話になった人にしても、「誰に対してもフランクに接していて人懐こくて素直だ」という印象がある。食事の場からは社交を大切にし、友人を大切にし、礼節を重んじる面が感じ取れた。


王府井の書店の様子

北京市計画展示館では、北京の街のパノラマを見たことで、故宮を中心とした碁盤目を基盤に街がつくられているのがよく分かった。北京オリンピックを契機に作られた鳥の巣、銀座・王府井のような先進的な建造物と故宮、北京胡同などの伝統が共存していることから、いつ時代でも人間が街をつくりあげていることを実感し、文明の力を感じた。日銀北京事務所から見た街並み(特に建設途中の現場)は、まさに北京が急速に変化していることが感じ取れた。


日銀北京事務所からの景色:写真右側は建設現場であった

砂漠では歩くことの難しさを実感した。砂漠が生きづらい場所だという漠然としたイメージがはっきりとしたものになった。砂漠、草原などの自然の中での衣食住の確保の難しさを感じるとともに、自分は生まれた時からずっと何の不自由もなく生きてきたことがよく分かった。また、文明の尊さも実感した。先進国の一歩手前の光景を見ることで、今の日本を作ってきた人への感謝も感じた。 実際に中国に行くことで、世界中から先進技術が入り込み急速に発展していること、そのしわ寄せが農民や今の社会制度ではカバーしきれない部分にできていることが実感できた。日本でも知っていたこと「一つの国の中に草原に生きる人がいて、先進技術に生きる人がいて、農村に生きる人がいて、出稼ぎで生きる人がいて、格差が拡大している」ことや、都市部の多様性から感じることができた。  日銀訪問で小池さんのお話を聞けたことも大きな経験になった。正直、内容はよく分からなかったが、小池さんのしゃべり方・雰囲気から感じることが多かった。日中関係への熱い思いには感動した。NHKの奥谷さんは、小池さんとはまた違った雰囲気の人であったが、仕事への熱意、考え方など、一線で仕事をする人の思いや考え方に触れられたことはかなり大きな経験になった。ただ、もっと深いお話を伺いたかったが、自分の知識不足が露呈した。一線で活躍する人と話すことで、自分の未熟さ・勉強の必要性を痛感した。 今回一緒に行ったメンバーと10日間を過ごしたことで、みんながどんな人なのか見て、何を考えているかについて話した。数人とは深く話すことができ、非常に刺激を受けた。他人と話すことや普段と違う景色を見ることで外から刺激を受け、自分についてよく考えるきっかけになった。異文化を旅することだけでなく、あまり話したことのないメンバーと話せたことも大きな刺激で、異文化に触れ、他人の考え方に触れることで、新たな観点を手に入れることができた。