「国際標準」とは世界共通の規格であり、「「国際標準」を制すものが世界を制す」 といわれるほど、自社で開発した技術が国際標準として登録されると、競合他社はその技術を借りないと製品を生産・販売できなくなるから、当該企業には大きな利益がもたらされる 。最近では、電気自動車の充電コネクターの規格をめぐり、日本発のチャデモ方式か、欧米発のコンボ方式かで争いが熾烈化している ことを諸君は知っているだろうか。
このような国際標準をめぐる争いは、もっぱらビジネスの世界の話であると考えがちであるが、そうではない。ビジネスとは無縁の「会計基準」にも世界を二分三分する国際標準化戦争が、十年以上もの間、くりひろげられている。
企業は、投資家から「市場」を経由して資金を調達し、事業をおこなっている。この「市場」を管轄する各国政府は、企業が嘘の情報を流して投資家をだまさないように、企業が公表する財務情報を厳しく律している。そのさいの規準の1つが「会計基準」である。
かつては、国によって「会計基準」が大きく異なり、メルセデスベンツが自社の利益を計算しようとして、ドイツの会計基準にもとづいたら黒字、アメリカの会計基準にもとづいたら赤字だったという話は有名である。だから、投資家が混乱しないように「会計基準」を国際的に1つに統一し、1つの物差しで企業の業績を測定しようとしたのである。それが「会計基準」の国際標準化である。ところが、その主導権をめぐって国家間で熾烈な争いが生じることになった。
なぜならば、「会計基準」はそれだけが独立して経済社会のなかで機能しているわけではなく、それぞれの国の社会インフラの1つとして会社法や税制などとともに長い歴史のなかで培われてきた。かりにコモンローのアングロ・アメリカン諸国(アメリカ・イギリス)が国際標準化の主導権を握るとなると、成文法を基本とするフランコ・ジャーマン諸国(フランス・ドイツ)は「会計基準」はもとより自国のありとあらゆる制度を根本から変革しなければならない。当然のことながら、企業の経済活動にも影響を与えるだろう。「会計基準」の国際標準化戦争は、いわば国益をかけた戦いともいえるのである。
日本でも、金融庁や公認会計士協会、企業などが、それぞれの立場から、それぞれの利害を主張して参戦しているが、これが実にドロドロしていて面白い。会計に苦手意識をもつ諸君も多いなか、是非、このような会計の意外な側面を楽しんでほしい。