ヨーロッパは,付加価値税(消費税)の母国です。付加価値税の前身である売上税は,第一次世界大戦の戦費調達のために,敵国同士だったフランスとドイツでほぼ同時に導入されました。このときにドイツで売上税法を起草したのが,プロイセン内務省の官僚だったヨハネス・ポーピッツ(Johannes Popitz, 1884-1845)です。彼はのちにプロイセンの財務大臣まで務めることになります。
ポーピッツが法案策定に奔走しながら執筆した大著『売上税法コンメンタール』には、彼の官僚としての有能さだけでなく,妥協なき緻密さ、本質を見極める洞察力がいかんなく表われています。第一次世界大戦敗戦後,ベルリン大学で租税法と財政法の教鞭をとっていた時期があり,その時の教え子たちが,さまざまな分野で第二次世界大戦後のドイツ財政の復興に貢献したと言われています。
しかし彼の本質を見抜く知力は,ナチス政権下では災いし,次第にナチスの政策、とくに人種政策に疑問を持つに至り,当局からマークされ始めます。そして,かのヒトラー暗殺計画「ワルキューレ作戦」に加担したとして逮捕され,悪名高い民族裁判所の「死の裁判官」フライスラーによって死刑を宣告され、1945年2月にベルリンで絞首刑に処されます。ポーピッツに対する判決文を読むと,フライスラーの異常さに慄然とします。良識と良心をもった人々に対して,反逆者の烙印を押して抹殺することに快感を覚えているとしか思われないからです。
私は,この話を大学院時代の原典講読の授業で指導教授から聞き,「租税正義とは何か,社会正義とは何か」という問いに対する一つの解答を得ることができました。以来,消費税の研究に取り組んでいますが,研究者・教育者としてはポーピッツに到底及びませんし,自らが信じる正義のために命を賭けるとことなどできません。それでも,職業人としてのVorbild(模範)を持っていることは幸運だと感じています。そのうち,多分定年退職した後(!),ポーピッツの伝記を執筆して,彼の業績と人生をもっと広く紹介できればと考え,老後の楽しみにしているところです。その準備として,仕事でドイツに行くたびに,ポーピッツゆかりの土地を訪ねることにしています。故郷のライプツィヒ,公人としてほとんどの時間を過ごし,最後は処刑されたベルリン,家族と束の間の楽しい休暇を過ごした北海の島フェール島など。このうちライプツィヒは,東ドイツでの民主化運動のきっかけになった「月曜デモ」で有名なニコライ教会のある美しい町です。この町の人々には,閉塞的な現状を打破しようとする精神が満ちているのでしょう。
最近,ドイツの友人から「ポーピッツの子息の一人は,著名な社会学者として活躍している」との情報が送られました。ポーピッツは不遇の死を遂げましたが,彼の残した良きものと良き人に慰めを見出しています。