Professors' Column
教員コラム

02.鈴木岳(経済学科): 福島の原発事故と今後の日本

鈴木岳(経済学科)

気楽なコラムを書いて下さいという原稿依頼の主旨からすると、大変に深刻なテーマなのですが、やはり、現在の日本において最も重大な事柄の一つであることには間違いない、福島での原発事故について、私の考えていることを少し述べてみたいと思います。特に、この事故が今後の日本、特にこれからの電力供給の問題等にどのような影響を及ぼすだろうか、私たち日本人は今後、この事故との関連でどのように行動すべきであろうか、という問題について。

報道各社のアンケートや政府主催の討論会などで、今後の電力供給における原発の依存度について尋ねられると、殆ど全ての人は、原発への依存度を引き下げていく「べきである」、またそのような意見を持つ人の中の多くは、国内の原発を(いずれは)全て廃止す「べきである」と考えているようです。私自身は、今後の原発の依存度はどの程度にする「べきである」のかについて確信を持って意見を言うことはできません。しかし、今後、日本での原発の稼働率は(場合によっては0%まで)低下して「いくであろう」、少なくとも、そのように予想するのが自然であろう、と考えます。つまり、人々が原発の是非について今現在どのように論じようとも、将来、日本では、原子力による発電は減少していくであろう、というのが私の予想です。

そこで、私たち一般市民は、今後どのように行動するべきでしょうか。原子力に替わる発電手段としては、化石燃料及び再生可能な自然エネルギーしか存在しないことは言うまでもありません。企業が工場などで必要とする電力は安定的な供給が求められますから、自然エネルギーは明らかに不適切です。そこで全電力需要のおよそ40%を家庭が占めていることを考えると、私としては、特に首都圏近郊で自宅にお住まいの方々に太陽光パネルの設置を提案したいと思います。私は夏の暑さが大の苦手で、あの灼熱の太陽に苦しめられるだけでは癪なので、何とかあの日差しを利用できないかと、事故の1年ほど前に太陽光パネルをつけたのですが、その時に業者の方から聞いた話では、太陽光パネルに始め興味を持つ人も、その設置費用が予想よりも高いことや、特に首都圏の比較的小面積の屋根に設置した場合の発電量が予想していた程ではない、その結果、「元を取る」のに思ったより時間がかかる、等の理由で結局二の足を踏むケースが多いのだそうです。

しかし、事故によって、状況は根本的に変わりました。今や、それが経済的に可能な各家庭にとって、太陽光パネルの設置は経済的に「得だから」行うものでは無く、今後の日本全体を政治的、経済的、社会的に根本から支えていくための、一種の市民的な義務に準ずる事柄である、と申し上げてもそれ程大げさでは無いと考えます。現代日本で自宅住まいをされている方々の多くは同時に車をお持ちだと思います。車は買えるのに、それと大体同程度の価格の太陽光パネルは高くて買えないというのは少々おかしくありませんか、と申し上げたいのです。この2年の我が家の経験では、発電量は季節によって変わりはありものの、それでも1年間通してみると、なるほど黒字は出ませんが、大体収支は「とんとん」といったところです。ということは、適当なローンを組んで、月々の返済額をその家の電気料金の支払額程度にすれば、それ程の経済的負担なしに各家庭で太陽光パネルの設置が可能となるはずです。

そもそも、これは良く知られている事のはずですが、福島第一発電所で発電された電気は、福島では無く、主に東京を中心とする首都圏近郊の住民によって消費されていたのでした。私たち東京の住民は、いわば、福島やその近隣の県に危険を押し付けて、その犠牲の上に生活をしてきたのです。今回の事故によって、今までの潜在的な危険は一気に顕在化しました。このような状況で、自分たちはいっさいの犠牲を(事故に遭遇した方々が強いられた、生命・健康に対する犠牲はおろか経済的なそれすら)支払わずに、事故の処理や今後の対策は全て政府まかせにして、今までと同じ生活を続けて行こうとするのは、あまりにも身勝手な態度ではないでしょうか。このような未曾有の国家的な危機(これ程大げさな表現が文字通りに当てはまるような歴史的事態は、めったに起こるものではありません)に際しては、市民一人ひとりが自分に可能な限りで回復に貢献するように努めることは、当然ではないでしょうか。

この国は、私たちの、また私たちの子供たち、将来世代の人たちの国なのですから。