Professor Column
教員コラム

20.斉藤都美(国際経営学科): 私の学生時代

国際経営学科准教授 斉藤 都美

入学式の今日、私の研究室の窓からは入学式を終えたたくさんの新入生と、サークル勧誘の上級生の姿が見える。これからそれぞれの大学生活を開始するフレッシュマンを眺めつつ、自分の学生時代の思い出に浸ってみることにしたい。とは言え、取り立ててお話しするほどの出来事もないのだが・・・

私は高校を卒業して一浪ののち、都内の大学に入学した。入学からしばらくは、自宅のある神奈川県から片道1時間50分ほどかけて通学した。長い通学時間だったが、満員電車を避けようと思えば避けられたし、座れればゆっくり読書もでき、学割定期であちこち途中下車の旅もできたから、むしろ充実していた。

大学の講義は大人数の講義が多く、概して期待していたほどエキサイティングではなかったように思う。それでも講義に出ることは好きだったし、他にすることもなかったから毎日大学へ行き、図書館で時間をつぶし、プールで泳いだ。講義にたくさん出席した割には何を学んだかあまり覚えていないのが不思議だが、それでもフランス語、哲学、ゲーム理論、ゼミナールは楽しかった記憶がある。

かねてから二十歳を過ぎたら家を出たい、出なければという気持ちがあったから、大学3年のとき、それまでの自宅通学から一人暮らしに切り替えた。といっても引きこもりがちな自分の性格をどこかで自覚し悲観していた私は、都内のワンルームマンションにだけは何があっても住んではならないという強迫観念みたいなものがあって、あれこれ探し回った挙句、キャンパスそばの10人程度が暮らす賄い付きの小さな学生寮に入ることにした。聞けばこの寮はクリスチャン向けの寮で、毎朝の礼拝まであるとのことだった。クリスチャンでない私はかなり戸惑ったが、物は試しと、思い切って入寮した。

寮には5畳ちょっとのウナギの寝床のような細長い個室と、20畳くらいの大きな食堂兼リビング兼卓球場があった。この広間の存在がこの寮のポイントの1つになっていて、良くも悪くも学生同士のつながりを密にしていた。共同生活は幸か不幸か、人のいろいろな面を見ることになる。トイレを汚す過ちを犯してそのまま立ち去る人、それを人知れずきれいにする人、暇さえあればテレビゲームに勤しむ人、ひたすら筋トレする人、ダイエットを始めたと言ってビールを飲み続け、なぜかと聞けば「また飲んでしまったという後悔の念で痩せる」と意味不明なことを言う輩。腹の立つこともたくさんあったが、楽しいことも多かった。人生論のような議論もずいぶんしたし、終電を気にせず飲み続け、明け方にラーメン屋台に繰り出したりもした。「同じ釜の飯を食った仲間」という表現があるが、確かに毎日寝食を共にした仲間とは特有のつながりが生まれる。この寮には大学院時代を含め約4年半お世話になった。

大学生としての典型的な私の一日は、朝寝坊して慌てて大学へ走り、帰りがけ古本屋やら喫茶店やらをふらつき、たまにプールで泳いで寮に戻るといった感じで、こうした毎日をそれなりに忙しく繰り返しているうちに学生時代は終わった。はたから見れば平凡で退屈で、お気楽でぜいたくな学生時代に映るだろう。実際そうだったと、自分でも思う。だが同時に、当時の私は私なりに自分の将来や生き方について悩み、何とかせねばと孤軍奮闘していて、お気楽な時代というにはあまりに悩みが多かったのも事実である。将来に対する漠然とした不安がつねに心の一角を占めていて、まるで影法師のようにどこへいても何をしていてもひたすらついて回る。束縛のない自由はこの上なく有難かったが、大げさに言えばその自由は、どこへたどり着くかわからない大海原に漂う小舟のような自由だった。

何とか仕事に就き、それなりの年数が経った今、かつて友人と議論したような人生論からはすっかり縁遠くなった。それは私なりの答えが見つかったからというよりは、学生時代に持っていたある種の真面目さを放り投げ、これしかないんだからと自分で自分に言い聞かせて安心させてしまう狡猾な逃げの術を身に着けたからだと思う。そう考えると、私の学生時代は特別な出来事は何もなかったかもしれないが、真剣に悩み、考えたという意味で、私にとってかけがえのない時代だったと言える。ただ同時に、振り返るとたくさんの後悔や反省もあって、それが教える側に立った今、「目標を持て、リスクを取れ」と学生に対する励ましならぬ、余計なお世話につながっている。

ふたたび窓の外に目をやると、新緑の銀杏並木の木陰で新入生が相変わらず楽しそうに談笑している。みんな一見何の悩みも無さそうだが、おのおのがそれぞれの悩みを抱え、格闘しているはずだ。新入生にはぜひ一生懸命悩んで自分の道を探し求め、元気に楽しく、充実した学生生活を送ってもらいたい。