Professors' Column
教員コラム

26.吉田真(経営学科): 「時代精神」ということ

経営学科助教 吉田 真

 私はドイツの文学と音楽が専門なので、そのあたりからの話題をひとつ。今年2013年はドイツのオペラ作曲家リヒャルト・ワーグナーの生誕200年にあたります(誕生日は5月22日)。面白いことに、オペラの作曲家としてワーグナーと並ぶもう一方の雄、イタリアのジュゼッペ・ヴェルディも同年1813年の生まれという奇縁があります。大作曲家の中ではバッハとヘンデルが同じ1685年生まれ、シューマンとショパンが同じ1810年生まれですし、ドイツ文学の世界では、自作のオペラ台本を執筆していることからドイツ文学史にも名を残しているワーグナーと同年生まれに、ゲオルク・ビューヒナー、フリードリヒ・ヘッベル、オットー・ルートヴィヒといった作家たちがいて、1813年は専門家の間ではドイツ文学の当たり年として知られています。

 全く同年の生まれというのは、とりあえず偶然としても、わずか数年の間に、それもひとつの国の中で、歴史に残る天才的な芸術家たちが集中的に輩出したとなると、これはやはり何か必然的な条件がそろっていたと見るほうが自然ではないでしょうか。ワーグナーは1813年にザクセン王国(現ドイツ連邦共和国のザクセン州)のライプツィヒで生まれ、同国の首都ドレスデンで育ったのですが、その3年前にライプツィヒ近郊のツヴィッカウという町でローベルト・シューマンが生まれていて、青年期をやはりライプツィヒとドレスデンで過ごします。さらに1年先輩のメンデルスゾーンは北ドイツのハンザ自由都市ハンブルクの生まれですが、ライプツィヒにやってきて、今日でも有名なゲヴァントハウス管弦楽団の楽長(指揮者)として活躍しました。つまり、この3人の大作曲家は青年時代の一時期、ライプツィヒやドレスデンの町で同じ空気を吸っていたわけです。

 そればかりではありません。ドレスデンにはオペラ《魔弾の射手》で有名なウェーバーが宮廷劇場の楽長として活躍し、ワーグナーの少年時代にワーグナー家にお客として招かれたこともありました。シューマンはドレスデンのピアノ教師フリードリヒ・ヴィークに師事していましたが、その後ヴィークの娘クラーラと結婚し、クラーラ・シューマンはドイツを代表する女性ピアニストとして有名になります(ユーロ導入以前のドイツの100マルク紙幣には彼女の肖像が採用されていました)。メンデルスゾーンは後輩のシューマンを引き立て、シューマンはやがて若きブラームスの才能を発見します。また、ワーグナーより2歳年上のフランツ・リストはオーストリア帝国出身(ハンガリー系)で、名ピアニストとしてヨーロッパきっての大スターでしたが、ドイツのヴァイマルに移住して作曲に専念してからはワーグナーを支援し、やがて娘のコージマはワーグナーと結婚しました。

 このような話をどうでもいいとは思わないまでも、「へぇ、そうなのか」で終わってしまう人が大多数である一方、どうしてよりによってこの時代、このけっして大きくはないドイツという国にこんなことが起こりえたのか、ということが気になる人もいるはずです。それこそドイツ語でいうZeitgeist(時代精神)への問題意識の芽生えにほかなりません。学問への関心は、こんな素朴な疑問から生まれるものであったりしますし、また、そうあっていいのだと思います。もちろんそれは、いかなる分野についても当てはまることです。そんなことから、ひるがえって私が常々思うのは、自分が生きているこの時代の日本は、遠い未来において、はたしてどのような「時代精神」として認識されるだろうかという深刻かつ愉快な想像なのです。